原因が先か結果が先か 《 難病克服支援センター さんより 》
今回は、 F.B.に寄稿されている、大阪市西区「難病克服支援センター」の記事を転載しています。
ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され、5年後には寝たきりになるとの宣告を受け一時は悪化していたものが、「…小さな光を追いかけ続けた結果、約4年で血液検査も正常値に戻り、自力で立てる、走れる、自転車に乗れるまで回復しました…」の体験をもとに、現在は難病克服支援センターを運営していらっしゃるとのことです。
【 原因が先か結果が先か 】
人間は本当の事を何も知らないんじゃないか? と思うことがあります。
強く本心で願った事は、その時点で未来に結果がすでに用意されている気がします。
過去が現在を作り現在が未来を作る
ではなく、その反対ですね。
願いが未来を先に作り描いた結果へ向かう為の原因が次々と用意されていく のではと思います。
結果が目の前に現れるまで願い続けると、結果に辿り着く為に原因となる出来事が起こり始め、気が付いたら現実となっている
この方が腑に落ちるんです。
願いが叶わなかった人は願う事を途中で止めてしまったから、その時点で用意されてた結果が消える その方が腑に落ちます。
では、なぜ願い続ける人と願い続けられない人がいるのか?
それは本心か本心でないかの違いだと思います。
人間って意外と自分の本心が分からないですよね。
頭で考えて生きてるから、本心なのかどうなのか分からない事がほとんどです。
本心と違う選択をしたり、行動をした時には、自分に違和感を感じる事がよくあります。
逆に自分に驚く事もあります。
頭はOKを選択したのに、結果がNOだった時、嬉しい自分がいて
あれ?
なんで結果がNOなのに嬉しいんだろう?
本心の選択がNOだった事に初めて気付きます。
頭と本心がちゃんと繋がっていて、強く願い続けられる事は必ず結果に辿り着くようになってるのではないでしょうか。
辿り着くというより、もう結果は用意されているが正しいですね。
でないと、必要な時に必要な人が偶然あらわれたり、
思いもよらぬ事が次々と起きて後から考えると全部が必要な出来事だったり、
もの凄く遠回りしてる気がしてたのに実は近回りだったり
たまには1人で静かに本心と向き合う事も必要だなぁと思います。
すると、自分の望みに気付いて願いが出てくる、そしたらもう未来に結果が用意されて、後はしぶとく願い続ける。
次々と結果へ向かう原因が用意されていき、その過程を楽しみながら日々を過ごす。
人間は本来この様な生き方が出来る動物だと思います。
医者の「治らない」なんて言葉を信じては未来を願う事すら出来なくなります。
治って元気な自分を描いてみてはどうですか。
難病克服支援センター
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